2020年12月23日水曜日

  日本学術会議会員の任命拒否の撤回を求める署名

 これからも二人三脚で

        母と娘で130筆

  学術会議任命拒否の報道を読んで、「とうとうここまで来たか!」と思った。これは明らかに学問の自由の侵害だ。また一歩戦争に近づいたと感じた。だから、あいおい損保革新懇から任命拒否に抗議する署名用紙が届いた時、大至急一筆でも多く署名を集めようと母と話し合った。

 滝川事件の頃、母の叔父が京大生だった。法学部ではなく文学部だったのだが、当時のあだ名が漱石の「坊ちゃん」だったというから、どんな性格かは推して知るべし。その叔父から姉(母の母親)に届く手紙は、すべて開封され、検閲されていたのを母は覚えている。それだけに、任命拒否問題の重大さをひしひしと感じたのだろう。

 早速署名用紙をコピーして、私は職場と毎週の首相官邸前や経産省前の活動などで署名を訴えた。さすがに今回はみんなの危機感も強く、ほとんどの人が即座に応じてくれた。

 居住地域は母の担当である。コロナで地域の催しが少なかったのだが、大泉生協病院組合員や九条の会などの仲間に署名用紙を手渡してくれた。この「下請けさん」たちが、五筆、十筆と集めてくれたのだ。歩いて行ける範囲にネットワークを持っているのが母の強みだ。もし電車が止まってしまったら、私にできることは少ない。改めて、地域に根付いた地味な活動がいかに大切か、いかに根強いかを学ばされたように思う。まさに草の根運動の原型だ。

 三週間足らずの時間しかなかったので、二人合わせて80筆くらいかと予想していたのだが、なんと130筆もになった。私たち母娘の最短・最多記録かもしれない。このうちの60筆が母の尽力によるものだった。

 母は、あと半年余りで卒寿である。いくつになっても社会に興味を持ち、積極的に行動するのが母の健康長寿の源かもしれない。本当は高齢者が闘わなくても良い社会になるのが一番だが、政治を変えない限り高齢者も穏やかに暮らせない世の中だから、母にもまだまだ頑張ってもらわなければならない。これからも二人三脚で続けていこう。

              守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏