2020年1月26日日曜日

福島県浪江町 希望の牧場 吉澤 正巳さん講演会
     
  福島の今を知る
      ~被ばく牛 270頭とともに


1月25日(土)千葉県八千代市市民会館。浪江町、希望の牧場・吉澤正巳さんによる講演会は120名以上、2時間を超える熱のこもったものとなりました。
 今回は20113月の原発被災地の状況、今の被災地の状況、そして原発の無い戦争の無い世の中を国民が実力をつけて作ろうと熱いメッセージが有りました。
●大震災の時は国、東電、県からの情報が無く浪江町長はテレビを見て避難指示をした。結果、風で放射能が多く流れた地域に逃げた人が多かった。事故日の翌日に県警通信部隊が牧場に来て原発の様子を視察していたが爆発の様子を見て「もう終わりだ。逃げろ」と言われた。
●浪江からの避難者は親戚、旅館、体育館、友人の家など710回も移住する事が珍しくない苦労が続いた。今も浪江の人口の3分の1の7000名は県外に避難しているし、他の人は福島市、郡山、いわき市二本松に避難してその場所に住居を構えた人もいる。現在、浪江に住んでいる人は事故前の10%の2000人。浪江の事故前の小中学生1800名が現在は18名。子供がいない町は村になる。学校のほとんどは休校と言うが実質は廃校。生徒は戻らない。
 除染出来ない森や林の放射能は平地、川、ダムに溜まる。先日の台風でそれが海に流れた。放射能除染は無理で出来ない事です。妥協して住むか逃げるしかない。原発に賛成の人は死に場所は此処だという覚悟がいる。墓場も放射能汚染の墓に入る勇気が必要?
今の浪江の多くの家はハクビシン、イノシシの巣となって解体作業があちこちで行われ更地にしている。是非とも視察に来て下さい。
 浪江に道の駅を建てたが浪江地産のモノは売って無い。作っても売れない。今年、浪江町役場の近くに大きな道の駅を建てるが地元の何を売るのか。避難者がなかなか帰還しないのに。
 双葉町にもJRが開通。人も住むように帰還奨励金をばらまいて人を集めようとしている。年寄りが戻っても病院も店もない。隣人もほとんどいない。学校も生徒の仲間も居ない
 浪江の請戸漁港は200億円かけてこんな漁港になったとアピールしているが、溜まった放射能汚染水を海に流す案が進んでいる。農業の再開も見通しは無い。
政府は建物、JR開通等で復興の江面、宣伝をして国民を欺く。マスコミも現地での取材しない。政権の宣伝のみだ。
(私・内藤は皆さんが被災地を視察すれば復興とは言えない状態が一目瞭然で解るので都合つけて一度は行ってみて頂けたらと思います)
●ドイツのメルケル首相は初めは原発賛成でしたが、チエルノブイル原発事故による問題を国民が取り上げる中で、国民の声を聞き、現在は脱原発へ自然エネルギーへの転換を積極的に取り組んでいる。それに比べて何故、安倍自公政権は出来ないのか
●講演会の最後に「国民が政権を変える実力をつけて、原発止めて戦争しない国を作る為に行動しましょう私は今も飼っている270頭の牛と共に原発事故の生き証人として原発が無くなるまで戦う」とアピールされ講演会は終了しました。(内藤正則)

関連記事「革新懇ニュース」83号(2017/10/2)の「浪江は終わった」をご参照ください。
こちらをクリックしてください「浪江は終った」

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